四明後日

 

 この間、朝礼の時に、美化委員の人が「先週」の前を「先先週」、そこ迄は普通に使われるけれど、更にその前を「先先先週」、「先先先先週」、「先先先先先週」(笑声) あんまりこんな日本語は使われないな。

本なんかでも続編、続々編、続々々編くらい迄が限度だな。

だから、美化委員の人も四週前とか五週前とか言った方が分かりやすかったね。

そこで思うんだけどねえ。「今日(板書)」これ、なんて読む。A君?

「きょう」? 違う、「こんにち」だ。(笑声)

じゃあこれはどうだ、「明日(板書)」? なに? 「みょうにち」? 違う、「あした」だ。(笑声)

じゃあ「明後日(板書)」はなんて読む。なるほど、「みょうごにち」か「あさって」ね。

本当の読み方は「二日後」って言うんだ。(笑声)

まあ、それはそれとして明後日の次の日はなんていう? うん。「しあさって」か。

じゃその次の日は? 知らないか。知ってる人いるか? うん、そうだ。「やなさって」か。また「やねあさって」なんても言うね。

 そうすると

1、「あした」「あさって」「しあさって」で終わる。  

2、「あした」「あさって」「しあさって」「やなさって」で終わる。

  ところが、先生の家では違った。「あさって」の次が「やなさって」「しあさって」と続くんだ。

だから、小学校に入ってびっくりしたよ。

でも、この言い方は、日本でも一部の地方では正式に使われているんだ。

先生の家は池袋の郊外の農家だから、昔からの江戸方言が残っていて、特殊な言い方をしていたんだ。

これだけじゃない。たとえば、これを何という。(舌を見せて) そうだな。「した」だな。

ほかの言い方は? 「べろ」だな。つまり、「した」か「べろ」だな。

所がこれを二つつないで「したべろ」って言うんだ。(笑声)

ほかの子に笑われて「なんだ、お前、『した』か『べろ』じゃねえか。『したべろ』なんて、言わねえぞ」って言われちゃった。

何しろ、昔の農家の子は学校中に数えるくらいしかいない。

後はみんな日本中から集まった人達の子供だから、江戸方言は通じない。

だからかえって、昔から東京に住んでいながら、逆に田舎者のような悲哀を感じたね。

所で次に面白いのがある。

 

 「しあさって」は「四あさって」に通ずる、というので、「四あさって」「五あさって」「六あさって」と続く。(笑声)

こんなに合理的で数学的な言葉はない。つまり

 1 → 今日(きょう)

 2 → 明日(あした)

 3 → 明後日(あさって)

 4 → 四明後日(四あさって)

 5 → 五明後日(五あさって)

 6 → 六明後日(六あさって)

と続く。

 これを始めに聞いたときは、そんな調子のいい話ってあるかい、冗談だろうと思ったが、本当なんだ。

誰かこの事知ってた者いるかね。

実は職員会の時に聞いたけれど知ってた先生、一人もいなかった。

今までいろいろな組でこの事聞いたけど、どこの組にも知ってた者いなかった。

え? Tさん、君、知ってたの、誰から聞いた? お母さん?  お母さんはどこ生まれ?  そう、生まれは浅草だけど、戦争中に秋田に疎開してそこで聞いたの。

成る程ね、秋田ね。

たしか九州の方でも使われていたような気がするが、このような言葉は、昔から船乗りによって港から港へと伝えられたから、日本中に点々と同じ言葉があるらしい。

ラジオやテレビの影響で方言が無くなっちゃったけれど、この「五明後日」や「六明後日」なんてのは、とても分かり易いから、標準語の中にいれて残したい位だね。

ついでに「四おととい」「五おととい」「六おととい」なんてのは、どうだろうね。(笑声)

 

<脱線千一夜 第21話>  


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