怪我の功名
後の黒板の上に、一人一人、それぞれ今年度の目標が書いて貼ってあるな。
中には絵入りで面白いのもあるけど、見かけだおしにならないようにしような。
「数学をしっかり勉強する」なんてのもあるが、まことに喜ばしい限りである。点数をあげてやってもいいような気がする。そのかわり、毎時間当てるけど。(笑声)
生活班の掲示もなかなか面白いが、所デダナ、このように目標を大きく掲示するような、そのルーツはどこにあるのだろうか。
この個人目標の掲示を教育史上始めてやったのは、かく申す「先生」でござるぞヨ。(笑声)
嘘ではない。今を遡る事何十年の昔、まだ、みんななんかは、生まれて来るはるか以前、先生が紅顔の美青年だった頃だ。(笑声)
ある中学で先生が研究授業をやることになった。それも自分の担任の学級でだ。
研究授業ってのは知ってるな。先生達が、お互いの授業を見せ合って、いい授業法を研究する会だ。
だから、ほかの学校からも、数学の先生が大勢見に来る。
校長先生も教頭先生も、空き時間の先生も、区の教育委員会の先生も来るって言う訳だから、あんまりみっともないこたぁ出来ない。
まあ、数学の授業は毎日やってんだから、これに、今回のテーマをあてはめていけばいい。
それも、他の組で何回か実験しての上だけれど、面倒なのは教室の掲示だ。
これは、小学校の先生や教育委員会の人が必ず言い出す。
つまり、小学校の教室は、豊かな雰囲気があり、学習環境として適切であるが、中学校の教室は、あまりにも殺風景であり、学習環境としてはふさわしくない。
このような、まるで監獄にも似た教室で学習する限りは、生徒達の心は次第に荒れすさんで行き、果ては、校内暴力事件の温床にもなることは、火を見るが如く明らかである。(笑声)
現在、日本全国に蔓延している所の、中学生達による暴力事件は、その源をたどれば、教室を明るい学習環境として整備しなかった学級担任の教員が、その責を負うべきであり、これについて気づかず、見逃していた校長や教頭も全く同罪であるのであるんであーる。(笑声)
まさか、それ程の事は無いにしても、まあ、自分が担任してる教室でやるんだから、あんまりみっともない部屋じゃあ体裁悪いので、美術の先生に頼んで、文化祭用にとってあった上手な写生画を借りて何枚も貼ったり、そのほか何だかやと色々やって、教室をきれいにした。
勿論、掃除は三日ばかり前から、小言を言い言いやらして、教室ピカピカにした。(笑声)
大体整ったけれど、どうも、後ろの黒板の上がさみしい。
さみしいどころか、誰かが堅い物ぶつけたらしく、白い漆喰の壁がはがれて、大きい穴が開いてる。(笑声)
模造紙をベタバリして隠すと、周りが汚れてる所に、真っ白な紙だから、いかにも、あわてて隠しましたという感じで面白くない。
そうだ、ここは生徒一人一人の目標を書かして張り付けよう。
これこそ一石二鳥の名案だという訳で前の日に書かせて、教室当番の者達と一緒に隙間のないように貼り出した。
これで例の穴は、完全に隠れてしまって、うまい具合だ。
朝、生徒達に言っといたよ。研究授業が終わる迄、教室をきれいにしとけ、特に、あの穴を塞いである紙には、絶対、何かぶつけるなって。(笑声)
研究授業が終わり、生徒達が帰ってから研究会をしたが、その最後の時に校長先生が、この教室は環境整備によく気を使ってあるって批評してくれた。
つまり、掲示なんかが、きちんとしてあるって事さ。
そうして、特に、後ろの黒板の上の個人目標はよく出来ていて、うまいアイデアである。 確かに、うまいアイデアには違いない。穴ボコ隠して、ほめられた。(笑声)
このようなよいアイデアは、お互いに、取り入れあって、いい学習環境を作ってもらいたい、なんて言われちゃったよ。
つまり、研究授業やってくれてごくろうさん、と言った意味でだろうと思ったけれど、まさか、あの掲示は穴ボコふさぎだったなんて知らなかったろうな。(笑声)
さて、この研究授業が終わって暫くしてから、個人目標を貼るクラスが、だんだんと増えてきた。
別に、壁に穴ボコがあった様子はなかったけれど。(笑声)
それから、用事があって、他の中学校に行って見たら、アリャ、この学校でもアッチコッチの教室に貼ってある。
つまり、研究会に来ていた先生達が、先生のマネ、と言っちゃあ失礼、良い所を取り入れて、自分のクラスでやる。
それを又、ほかの先生が取り入れる。と言うふうに、広がって行った。別に、壁に穴ボコがある訳じゃあないが。(笑声)
今じゃあ、これが豊島区だけでなく、東京都、いや、関東甲信越、さらには、全国的に広がりつつある。
国境を越えて、国際的、全人類的になるのも、もはや時間の問題である。(笑声)
ま、先生は長い間、教員生活を続けて来て、教育界に貢献した事っていえば、これ一つだろう。
もとはって言えば、壁の穴ボコ塞ぎにやったんで、「怪我の功名」みたいなもんだ。
「怪我の功名」ってのは、何かヘマをあったんだが、それがもとで、うまい具合に行ったって訳だ。
例えばナ、道を歩いていたら向こうから奇麗な女の子が来る、わあ、いい子だなあなんて見とれていて、石につまづいてひっくり返る。(笑声)
イテテテテなんて立とうとしたら、手をついた所に百万円の札束がある。(笑声)
こういう物は、黙って持って行ってしまってはいけない。夜中に口が耳まで裂けている猫のお婆さんの幽霊が出て来る。(笑声)
すぐに警察に持って行くと、真っ青な顔の落とし主にばったり出会う。
とても喜ばれて10万円お礼をもらう。
そればかりか、その人は道で会った奇麗な女の子のお父さんで、その奇麗な女の子と知り合いになれる。ヤッタネ(笑声)
というような事はマア有り得ない。どらえもんのマンガのノビタの夢みたいだ。(笑声)
<脱線千一夜 第27話>
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