Y氏はB29のアメリカ兵の顔を見たか

 

 今日は3月10日だな。3月10日って言うと・・・そうだな。東京大空襲だな。やけに早いな。何だ、さっき社会の時間に聞いたばかりか。(笑声) 

じゃ余計な前置きは抜きにして、本論に入るが、その、東京大空襲を体験したお婆さんの話なんだ。

アメリカのボーイングB29爆撃機が低空で飛んできて、焼夷弾を撒いていく。辺り一帯は火の海だ。

その中を必死で逃げ回っている時に、火炎に照らされて明るく輝いているB29から、アメリカ兵が自分をめがけてニヤニヤ笑いながら機関銃を撃ってくるが、あんなに怖い事はなかったとの話である。

サーテネ、いくら目が良くっても、B29のアメリカ兵がニヤニヤ笑いながら機関銃を撃ってくるのが見えるんかね。おまけに夜なんだよ。(笑声)

いくら火事で空が真っ赤に焼けていようと、B29が低空で飛んできて馬鹿でかく見えようとも、ニヤニヤ笑いながら機関銃を撃ってくるアメリカ兵の顔は分からないだろうなあ。

でもこのお婆さんは、本当に見えたと思ってるんだ。みんなの内の誰かみたいに、大ホラ吹きで有名な奴とは違う。(笑声)  本当に真面目な人なんだが、それなのに、真実、アメリカ兵の顔が見えたと思いこんでいるそうだ。

これについては、人間はとても怖い恐ろしい思いをした時には、気が動転して、なかったこともあったことのように思いこんでしまう。だから、このお婆さんはとても怖い体験をしたので、自分の想像していた光景がだんだんと脳の中に固定されていって、本当の事として思いこんでいるのだという話を読んだ。成る程ナと思ったね。

 

 所で、Yと言う作家がいる。先生よりも少し歳上で、素晴らしい感動的な作品を沢山残している。

ある時に本屋さんでその人の本を買って、自転車で帰る途中に交差点があり、赤信号だった。そこでちょっと立ち止まって読み始めたら、たちまち話の中に引き込まれてしまって、とうとう道に立ったまま、本一冊を読み終わってしまったことがある。(笑声)

このY氏が東京大空襲について書いた物をこの間読んだ。Y氏もこのお婆さんと同様に、B29が荒れ狂う下を、必死で逃げ回ったんだそうだ。

そうして、先日、昔の友人と会って色々と話をした際、たまたま東京大空襲のことになった。するとその友達は、B29が東京を焼き尽くす紅蓮の炎に照らされて、敵のアメリカ兵が機関銃を撃ってくるのが見えたと言う。

やはりそうだったのか。今迄、自分は誰にも話さなかったが、あの時に、そのB29のアメリカ兵が機関銃を撃ってくるのが、はっきりと見えた。

でもそれは、恐ろしさのあまりに見た幻なのかと思っていた。やはりそれは、本当の事だったのだとあった。

 

 サテ、みんなはどう思うかね。たとえ大火事で空が昼のように明るくなっていても、飛行機に乗ってる者の顔が分かるかね。

B29は高々度精密爆撃用に作られた飛行機で、昼間に高さ一万メートル位から、地上の要塞や工場を爆撃するように作られたものだ。所が、いつ迄たっても日本は降参しない。だったら日本人は皆殺しにしてしまえと、方針を変えた。

同じ1トンの物を落としても爆弾よりも焼夷弾で大火事を起こした方が、沢山の日本人を効率よく殺せる。やはり実用主義哲学の国だけある。

てなもんで、夜、焼夷弾をばらまいていく。高さ二千〜三千メートルの低空で。富士山よりか低いけれども、でも、人の顔が分かるって高さじゃない。

よくヘリコプターや小型飛行機が飛んできても、あれでも千メートルくらいだろうが操縦士の顔が見えるかな。

 

 だから、申し訳ないがY氏の見たアメリカ兵の顔は幻であって、それを事実と信じることは如何かと思うが、でも、そのように幻を事実と誤認するような夢を持つことが出来ればこそ、沢山の傑作を世に問うことが出来たのかも知れない。

みんなはどうか分からないが、先生も子供の時に見た夢が、どうしても、夢とは思えない、本当にあった事のような気のするのもある。1メートルもあるようなゴキブリがやって来て、枕元で踊りを踊っている夢なんだ。(笑声)

テントウムシのサンバの向こうを張って、アブラムシのルンバってなもんかな。(笑声)

 

<脱線千一夜 第102話>


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