保科正之と土津神社

 

 「山」と言う漢字は「サン」とか「ザン」とか「ヤマ」とか読むが、ある漢字で、10通り以上の読み方をするのがある。

勿論、当て読みだが、「ア」、「アザ」、「イル」、「エ」、「ク」、「セイ」、「ナマ」、「ノ」、「ハイ」、「ミ」、「ワタ」・・・なんて読むけれど、こんな漢字知ってるかな。

そうだ。よく分かったな。「海」だな。何で分かったの?

「アザ」とか「イル」で見当付くか。「アザ」って言ったら「アザラシ」、「イル」だったら「イルカ」だろうって分かるか。

じゃ、「海」が何故そんな読み方をするのかと言うとね。

「ア」・・・・・「海女(アマ)」

「アザ」・・・・「海豹(アザラシ)」

「イル」・・・・「海豚(イルカ)」

「エ」・・・・・「海老(エビ)」

「クラ」・・・・「海月(クラゲ)」

「セイ」・・・・「海象(セイウチ)」

「ナマ」・・・・「海鼠(ナマコ)」

「ノ」・・・・・「海苔(ノリ)」

「ハイ」・・・・「上海(シャンハイ)」

「ミ」・・・・・「海松(ミル)」

「ワタ」・・・・「海神(ワタツミ)」

と言った具合になる。海に関するものじゃあ、魚編の漢字はとても多い。「鯛(タイ)」とか「鮭(サケ)」みたいにな。

 

 所で、みんなが今度林間学校で行く猪苗代四季の里のすぐ近くに、「土津神社」ってのがある。これを何て読むのか知ってるかな。

「ツチツジンジャ」じゃない。

「ドツジンジャ」違う。

え?「ドロツジンジャ」(笑声)「土」は「ドロ」とは読まない、「ドロ」は「泥」だ。

え? 「ハニツジンジャ」おや、よく知ってたな。え? 去年、家族旅行で猪苗代四季の里に行ったばかりだって。(笑声) じゃ、知ってるわけだ。

とすると、ここに誰を祀ってあるか知ってるか。そこまでは知らないか。

この神社に祀ってあるのは、天照大神とか大国主命とかいった日本神話の神様じゃない。

日光の東照宮は徳川家康だが、ここに祀られているのは、その徳川家康の孫に当たる保科正之だ。

保科正之と言う名はあまり聞いたことはないだろうが、三代将軍の徳川家光の弟で、家光を補佐して善政をしたと言われる。

火事で江戸城が燃えてしまい、天守閣が無くなったとき、それを再建する資金があるなら、火事で家が無くなり困ってる庶民を救うべきだと言って、そちらを優先したり、遠く多摩川から水道を引いて江戸市民の飲み水を確保したりした。

え? 玉川上水は玉川兄弟が造ったって。

そりゃそうだ。そのような言い方すりゃ、大阪城を建てたのは、豊臣秀吉じゃなくて大工達だ。(笑声)

玉川上水を引いたのは、保科正之の功績なのだが、わざわざそれを無視して、土建屋の親分の玉川兄弟にしたのかと言うと、「歴史は作られる」のいい例なんだな。

 

 明治維新の時の戊辰戦争で、徳川は朝廷つまり天皇に弓を引く逆賊、そうすると敵の敵は味方というわけで、徳川と大阪城で戦った豊臣はイイモン(笑声)

庶民の中から出て、最高の位までになった豊臣秀吉なんかが、「太閤記」なんて、もてはやされる。

豊臣がイイモンなら、豊臣と戦って破れた明智光秀はワルモン、明智の謀反で殺された織田信長はイイモン。

この辺りは、少し突っついて考えると、天皇家なんかは全然実権がないから、俺が日本の王様になってやろうとしたのは、織田信長。

何とかして、それを止めさせようとしたが、どうしても駄目なので、遂に天皇側に寝返ったのが明智光秀。

そうすると織田信長はワルモンで、明智光秀はイイモンなんて説もあるが、権力者にとって具合の悪いことは、みんな歴史の闇に封じ込まれる。

天皇と天皇の叔父さんと戦って、天皇が負けてしまうなんて話も、かつての「天皇陛下は神様です」と言った頃には、教科書から抜かされていた。

 

 そこで話は戻るが、保科正之は徳川幕府の創設者の家康の孫、徳川は官軍と戦った朝敵。

江戸時代には名君と言われていたろうが「坊主憎けりゃ袈裟迄も」と言うことで、せっかくの功績は、他人の物にされてしまった。

なお、彼の治めた会津藩は、主家の徳川に忠誠を尽くせという彼の残した家訓を第一義にしていたので、丁度、日米戦の時の日本みたいに、キチガイみたいにメチャメチャになって、(笑声) 大勢の官軍を相手に大奮闘した。

飯盛山の白虎隊の悲劇なんかも起きた。官軍は官軍で鶴ヶ城を落とすのに、えらい骨を折った。

だから、東北の日光と言う位に豪華絢爛であったらしい、この、保科正之を祀った土津神社も灰燼に帰してしまった。今の土津神社は鶴ヶ城と同じように、それから再建されたものだ。

 

 まあ、徳川はこんなふうにワルモンだったが、その中で一人だけイイモンになってるのがいる。

誰だろう? そうだな。徳川光圀だ。

彼は徳川の中でも日本の中心は天皇で、徳川幕府はその下だと主張したから、別格に扱われている。

水戸黄門として有名で、今でもテレビの人気もんだな。水戸黄門漫遊記なんてのは後世の者が書いたんで、興味本位のお話だけど。

 

 ある時に、小学校の所に太い松が二本あって、それぞれに「助さん」と「格さん」と札が付いているのを見た。

小学校らしくて可愛いもんだななんて思ったら、その二本の松の間に校門が見える。

ははあ、あの校門が水戸黄門かと納得がいった。(笑声)

 

<脱線千一夜 第118話>


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