飛行機の発明

 

 飛行機の発明って言うと、みんなはライト兄弟に決まってらって言うだろうが、前に聞いた話では、フランスじゃ別の人になってるらしい。なんて名前だか忘れたが、その人の作った飛行機の写真を見たことがある。

ライト兄弟の飛行機は、翼が長方形で、現在でも使われてるグライダーに近い。でも、ライトよりも先に空を飛んだと言われる、そのフランスの飛行機は、コーモリ傘みたいな翼をしてる。

エンジンはと言うと、ライトのはガソリンエンジンだが、フランスのは蒸気機関。(笑声) つまり、空飛ぶ汽車ポッポてなもんだ。

宮沢賢治はこれにヒントを得て「銀河鉄道の夜」を書いたと言われる。もちろんウソ。(笑声)

 

 これが何故、飛行機の発明と言っているかと言うと、蒸気機関でプロペラ回して何とか走り始めた。

いつ飛び上がるか、いつ飛び上がるかとはらはらしてたら、ドシーンとひっくり返ってメチャメチャになっちゃった。(笑声)

もちろん失敗なんだが、タイヤの跡を調べてみたら、何センチだか、少しばかり跡が付いてない所がある。

まあ、そこは空中に浮いたってわけだ。何ミリだか知らんがな。(笑声)

とにかく、そこの所は飛行したのだから、これが最初の飛行機だと言っていばってるらしいが、飛び上がったんじゃなくって、石か何かにぶつかって、跳び上がったんだろう。(笑声)

飛行機というのは、例え短い距離でも、人間が操縦する事が条件だから、これは駄目だな。

日本じゃ、江戸時代に岡山の幸吉という人が、背中に大きい羽根をつけて、橋から河原に飛び降りる実験なんかをやった。つまり、ハンググライダーみたいなもんだろうな。

だけど、キリシタンバテレンの魔法使いめなんて、役人にとっつかまっり、酷いことには死刑にされてしまった。

 

 日本に於ける、その後の飛行機の研究の先駆者は、明治時代の二宮忠八が有名だ。

二宮忠八知ってた者は手上げて御覧。何人か居るよな。日米戦の前は、小学校の国語の教科書に出てたんで、当時の日本人はみんな知ってる事なんだ。

二宮忠八は小さい時からとても器用で、その上に研究心があった。

凧を作るのがとても上手で、忠八の作った凧はとてもよく揚がるって評判で、大勢の子が忠八に凧を作ってもらったと言われる。

まさか、タダで作ってやったんじゃないだろうが、所得税は払わなかったろう。(笑声)

 

 忠八が次に挑戦したのは、もちろん飛行機。

長い間の苦心の末、プロペラをゴムで回す模型飛行機を発明して飛行させることに成功した。今で言うライトプレーンて奴だな。

次に忠八は、人間の乗る飛行機を作ろうとした。これが、玉虫型飛行機。

だけど、模型飛行機と違って本物の飛行機じゃ、ゴムでプロペラを回すって訳にゃいかねーよな。(笑声)

軽くて力があるって言やあ、オートバイや自動車で使われてるガソリンエンジンだ。これは、当時の一般の人間が個人で購入できるという代物じゃない。

そこで、飛行機が出来れば、軍隊で高い空から敵の様子を調べたり出来るからと言うので、話を軍隊に持ち込んだ。勿論のこと、相手にされて貰えなかった。

空飛ぶ機械を作ろうなんて、こいつ、軍に金を出させ、持ち逃げしちゃおうと言う、ペテン師に思われたんだろうな。(笑声)

 

 だけど、ここで軍隊が忠八の話を聞いて感心して、是非そのような飛行機を作ってくれって話になったらどうだろう。

玉虫型飛行機は平成3年に実際に作られた。忠八の書いた設計図をもとに、現代の航空学の技術で作ったんだから、成功しない筈はない、確かに飛んだ。

だけど、距離は35メートル、高さは30センチ。(笑声)

風にあおられて、見物人の中に飛び込んで止まった。(笑声)

これじゃ、断られて、恥をかかずに済んで、かえってよかったんだ。

高さ30センチじゃ、山や川を飛び越して、敵の様子を調べに行くなんて出来ないよな。(笑声)

 

<脱線千一夜 第132話>


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