爆弾は降る星の如く

 

 「愛情は降る星の如く」って話を知ってるかな。

え? マコとミコ? 違う違う。ありゃ「愛と死を見つめて」だ。「愛と死を見つめて」だったら知ってるかな。

何だかよく分からないけど病気で死んじゃう話か。まあそんなもんだな。大学生の恋人同士のうち、女の方が恐ろしい病気になる。顔面肉腫とかいって、顔を半分取ってしまうような病気だ。そうして、最後には亡くなってしまう。

この間の二人の愛情に満ちあふれた書簡集が、この「愛と死を見つめて」だが、先生は勿論読んでないし、映画になったけど、見てもいない。

何? ヤキモチ?(笑声) 馬鹿だなあ。いつまで経っても、相手が見つからないお前さん達たあ違うよ。(笑声)

何故かって言うとな。一部でも余計に売るために、プロが文章に相当手を入れてる筈だ。そうしたらこれはつまり小説になっちゃう。

それに、これが大切なんだが、最後まで自分を信じて死んでいった恋人から来た手紙を、金になるからって本にして、大勢の人に見せられるか。

こんな男だから何年か経って、別の女と平気で結婚してる。こんなに誠(マコト)のない男はいない。でも、たまげたことに、その男の名前は実(マコト)なんだ。(笑声)

 

 「愛と死を見つめて」はそこ迄にして「愛情は降る星の如く」はと言うと、こりゃ知ってる者いないか。日米戦の前のことで、ゾルゲ事件というと、名前だけでも知ってる者もいるだろう。

ゾルゲ事件を簡単に言うと、ゾルゲはドイツ人だが、ソ連のスパイだ。そうして、ソ連のスターリンは日中戦争の頃の日本の政策を知りたかった。

南進か北進か。南進、つまりフィリピン、マレー、インドネシヤに軍を進めるか。北進、これはシベリヤ、モンゴルを攻撃するか。北進だったら、シベリヤの軍隊を守りに使わなけりゃならないが、南進だったら、それを東部戦線に回して、ドイツを攻撃する。

ゾルゲは遂に政府の要織にいる日本人を使って、日本の国策が南進であることを掴み、スターリンに連絡した。スターリンはゾルゲが何やら二重スパイのような気がして、あんまり信用していなかった。

ソ連に帰ってきたら、粛清、つまり死刑にしてしまうつもりだったのだが、この時は怒濤のようなドイツ軍の進撃に為すすべもなく、溺れる者ワラをも掴むような気だったのだろう。

日本は南進するという情報に一抹の希望を抱いて、シベリヤの軍隊を東部戦線に回し、ドイツ軍を阻止した。そうして勝った。

 

 一方、ゾルゲと彼の協力者達は遂に日本の警察に捕まった。ゾルゲは死刑。尤も、ソ連に帰っても粛清の死刑台が待ってるんだから、運の無い男だな。ゾルゲの協力者の日本人も大勢捕まって、監房にぶち込まれた。

さて、ここでみんなに聞きたいのは、その日本人達が何故ゾルゲに協力したのだろうかな。

え? 金。さあ、詳しくは知らないが、金なんかあまり貰ってないようだよ。それなのに、危険を冒して日本の秘密を漏らすようなことを何故やったのだろうか。此処が問題だ。

彼等は「労働者と農民のソビエト連邦こそ我が祖国」と一途に信じてたって訳だが、変な顔してる奴大勢いるな。つまりマインド・コントロールって奴でオウム真理教みたいなものだ。

前にも話したよな。朝鮮人の北朝鮮帰還の時に、大江健三郎っていう男が「朝鮮人達は北朝鮮という素晴らしい祖国がある。彼等はその素晴らしい楽園に帰ることが出来る。自分は日本人だから、帰る国がない」なんて、共産主義の北朝鮮は労働者と農民の楽園で、資本主義の日本はアメリカの植民地で地獄だと思ってたのと同じだ。

この頃「労働者と農民のソビエト連邦こそ我が祖国」と本気で信じてた奴が大勢いて、中には地獄の日本から祖国のソ連に亡命しようと、樺太(カラフト)今のサハリンの国境線を突破した奴がいたが、捕まりスパイに間違えられて死刑。

とにかくこの頃には、「労働者と農民のソビエト連邦」がいずれは戦争に打ち勝って、全世界を制覇して、そこには金持ちが貧乏人を鞭打って働かす様な事のない、理想的な社会が出来上がると、信じてたオッチョコチョイが多かった。

「労働者と農民のソビエト連邦」がそれからどうなったかは、みんなの知ってるとおりだがな。とにかく、ゾルゲにせよ、彼の手下にせよ「労働者と農民のソビエト連邦こそ我が祖国」と信じてるオッチョコチョイ野郎で、日本なんか早く滅んで、ソ連の一部になった方がいいと思ってたんだ。

 

 所で、捕まって死刑になったのは、ゾルゲと、あと日本人にも一人いた。尾崎秀実と言う男だ。

これが政府の中枢に食い込んで、機密情報を手に入れて、ゾルゲに流し、それがソ連のスターリンに渡って、ソ連がドイツに勝つ原因にもなった。

ドイツが負けたら、返す刀でソ連軍は中国東北部から北朝鮮に、怒濤の如く進撃し、大勢の日本の民間人がが犠牲になった。「流れる星は生きている」といった本なんかにも詳しいな。

一方、アメリカはと言うとこのままじゃ日本をソ連に取られちゃうってんで、ソ連に対する脅しで広島、長崎に原爆を落とす。全く、日本は随分と酷い目に遭わされたもんだ。

ゾルゲに情報を渡した尾崎秀美は日本の敗戦の少し前に死刑になったが、その牢屋にいる三年間、自分の家族に当てて沢山の手紙を書いた。

 

 彼は戦争中に、自分の信念を曲げずに行動し、世界平和の実現のための捨て石になった。彼の家族に当てた手紙は愛情に満ち溢れ、それを読んで泣かない者はいない。

てなもんで、その書簡集は「愛情は降る星の如く」と言う名で出版されたが、その頃の日本人は頭が狂ってたんだろうな。「労働者と農民のソビエト連邦こそ我が祖国」と言う敵性日本人の本が大売れのベストセラー。

 

 日本人てのは、何だかおかしな所がある。

国土を丸焼きにし、原爆を二つも落とし、肉親を大勢殺したアメリカ軍のマッカーサーを大歓迎したり、日本の大秘密をソ連に流したスパイの尾崎秀美を英雄にしてる。

爆弾や焼夷弾の雨を降らされても、忘れてしまったらしい。「愛情は降る星の如く」じゃなくって「爆弾は降る星の如く」だな。(笑声)

 

<脱線千一夜 第173話>


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