地方(痴呆)交付税

 

 所変われば品変わると言われるが、これの一番典型的なのは言葉だな。

日本じゃ日本語、アメリカ・イギリスじゃ英語。でも中には面白いのもある。ギリシャ語で魚の鱈(たら)のことを何と言うかというと、え? バカヤロ、(笑声) こら! 畏れ多くも先生様に対してバカヤロとは何だ! 

え? ギリシャ語で魚の鱈(タラ)のことを「バカヤロ」って言うって?

おんや、確かにそうだが、誰に聞いたんだ? 隣の組の奴から前の時間に先生が話したって聞いたんだって? (笑声)

こりゃ驚きだ。近頃は情報化社会だって言われてるが、さっき隣の組で話したことが筒抜けとは大したもんだな。

じゃあ、ある組で授業したことが全部他の組に筒抜けなら、他の組じゃ授業しないで自習で済むから助かるな。(笑声)

だったら、ペルシャ語で西瓜(スイカ)のことや、スペイン語でレストランのことも聞いたろうな。

そうだ、ペルシャ語で西瓜(スイカ)のことは「ヘンダワネ」(笑声)、スペイン語でレストランのことは「タベルナ」(笑声)、「バカヤロ」や「ヘンダワネ」はさておき、レストランが「タベルナ」じゃ誰も入らない。商売あがったりだ。(笑声) 

 

 一方、所でなくて時代が変わると、常識が全然通用しなくなる事もある。

昔の話だが、ある小学校に田舎から転校生が入った。

女の子で、別にこれと言った特徴がある子じゃなかったが、水泳が物凄く上手(うま)い。

クロールなんかも上手いけれど、特に平泳ぎが物凄く上手い。

それに、潜水。潜水ってのはプールで潜って行き、水の中で人の足を引っ張ったりするイタズラ坊主どもの専門だが、この女の子にかかるとワルガキたちが反対に沈められちゃう。(笑声)

そんなわけでクラスの女の子達が、その子をつかまえて、なんて聞いたかってえとな。

「あんた。水泳って幾ら?」

良く分らないようだな。つまり、算盤(そろばん)、お習字、ピアノ、バイオリンなど、自分達が習ってる所は、いわゆる塾で、塾なら月謝がいる。

そこで、こんなに水泳が上手いんだから、水泳塾でしっかりと習ったに違いないと思ったって訳だ。

 

 所がその子が今まで住んでいたのは、海岸の漁師町。

♪生まれて潮に湯あみして 波を子守りの歌と聞き♪

と言う所だから泳げるのが当たり前。みんなが自転車乗れるのと同じだ。

ましてや、男は船に乗って漁に行くが、女は海女(あま)と言って、海に潜ってサザエ等を採る。

だから、女の子は小さい内から競争で素潜りの練習をする。

そう言った事を知らないで、塾で水泳を習ったのかと聞く今の子達は全く世間知らずだと、何十年か前に笑い話として新聞に出てた。

でも、それから間もなく本当に水泳塾が出来て、これが笑い話じゃなくて当たり前の事になっちゃったな。

この組にもプール教室言った者が何人もいるだろう。

 

 別の話だがな。日本一旨いライスカレーの店なんてのは、知ったかぶった味覚自慢の話に出てくるが、その反対に、日本一不味(まず)いライスカレーの店ってのはどこだろうと調べた探検家がいた。(笑声)

この探検家がある時に、田舎の峠道にポツンと一軒立っている汚い茶店を見つけた。やってるのは60過ぎの、これもまた薄汚れたお婆さん。(笑声)

しめた! ここが俺の探し求めて止まなかった日本一不味いライスカレーの店かも知れない。ついに、理想の味に巡り合えそうだ。(笑声)

なんて思って店に入ってライスカレーを注文した。

間もなくして出て来たライスカレーを見たが、色、匂い、まあまあ標準。

食べてみると決して不味くはない、これもまあまあ標準。どうも当てが外れた。

でも、ちょっと気になることがある。それは、何だかこの味は今迄何回も食べてた味だ。何時食べたか分からないが、とにかく、味に覚えがある。

その時に例の婆さん。ちょいとばかり後ろ向きになって何か隠すような振りをしたので、それを目敏(めざと)く見たら、レトルトカレーの空袋だったという話。(笑声)

これじゃ、日本一不味いライスカレーの店は永久に見つからないな。

 

 今のは面白い話として新聞に出ていたんだけれど、これから暫くたって、先生が経験したおかしな事、いや、今の常識なら当然のことがあった。

ある朝、JRの駅のホームで食事をしようと思い、ソバを頼んだら、まだソバは出来ませんと言われた。

じゃ、何が出来るのって聞いたら、ライスカレーなら出来ますとのこと。(笑声)

そうだな、みんなが思った通りレトルト物だったよな。でも振るってるんだ。

さっきの話のお婆さんは、レトルトを使うのを恥と思って、出来るたけお客に知られないように隠していたのだけれど、このホームの店じゃ恥ずかしがらず、堂々とお客の目の前で、レトルトカレーやご飯を、電子レンジで温めてホイと差し出す。(笑声)

先生はホームに立って電車を待ちながらそのカレーをモソモソ食ったが、時代は変わったと思ったね。

 

 ソバって言やあ、大昔にそば屋の叔父さんと話したことがある。自転車じゃ出前に時間がかかるから、オートバイ使ったらどうだろうってな。

そうしたらそのそば屋の叔父さんは、そば屋がオートバイで出前するなんて、そんなバカな話はないって言ってたけれど、そう言った後、何年かして小型オートバイに出前機を付けたのが出て、殆どのそば屋が使うようになった。

勿論、叔父さんの店にも何台もあって、出前の店員がオートバイで走り回っていた。

 

 つまり「所変われば品変わる」と言われるけれども、所だけじゃなく、時代が少し変われば、「そんな非常識な!」なんて事が、大手を振ってまかり通る。今騒がれてる「地方交付税」もそうだ。

日本が戦争に負けた後、日本の税金について調べる為に、アメリカからカルフォルニア大学教授のシャウプ博士がやって来た。

博士が日本に来て見たのは、田舎の人達の酷い生活。

同じ日本人でありながら、このような二重構造はあっては成らない。地方にお金を回して産業を育成しなけりゃいけないなんて事言って帰った。

 

 確かに、その時点ではシャウプ博士の勧告は正しい物だったかも知れない。それが何十年かして、時代変われば品変わるとなる。

政治家というと国から金をむしり取って、自分の選挙区にばらまくのが、有能な人間と言った事になって仕舞った。

「日本という国は一体どうなってるんだ。東京・大阪・横浜とか言った大都市から税金をうんと取って『地方交付税』なんて名目で、田舎にメチャメチャにばらまいてる。都会じゃろくな道が無くって、交通渋滞が毎日だけれど、田舎じゃ殆ど車が通らない国道に沿って、事もあろうに高速道路まで出来ている。政治家と官僚と業者がくっついて、税金を山分けしてる工事狂国とは聞いていたが、一体全体、なんであんなにまで、田舎を大事にしなけりゃならないんだ。」

と言ったようなことを、日本に来たアメリカ人が言ったそうだが、当然だ。シャウプ博士の頃と反対になっちゃった。

金もないくせに一つの島に三つもゴミ焼却場を作ったり(一つで十分足りるんだ)、本州四国間の橋をいっぺんに三つ作ったり。

 

 シャウプ博士の時とは時代が違うんだ。自分達の儲けの為に、博士の勧告に飛びつき、国の金を政・官・業で毟(むし)り取ってるが、そんな寄生虫は早く退治しなけりゃな。

地方は地方でも、白痴の痴と阿呆の呆。

地方交付税じゃなくって、痴呆交付税だ。(笑声)

<脱線千一夜 第175話> 


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