再び、大江健三郎
ノーベル賞を取った大江健三郎が、北朝鮮の金日成一味に騙されて
「朝鮮人達は羨ましい。労働者と農民の楽園の北朝鮮に帰れるから。自分は朝鮮人じゃなく日本人だから、その楽園に行けない。」
なーんて間抜けなこと言った時がある。その事は以前に話したな。
これで懲りて、下らないこた言わないようにしようとしてるかと思ったら、さにあらず。
うまく行ったら儲け物って訳で、政府がヤメロって言ってるのに、ドンパチ騒ぎしてるイラクに出かけて
「テロという不寛容への、不寛容による反撃とは別の、第三の道を探したいと願う市民が現れるのは、国際化された民主主義社会で当然のことです」
なーんて言ったとかだが、北朝鮮の時と違って、なんだかさっぱり分からない難解な話だ。
さすがはノーベル賞文学者、日本ペンクラブ会長。素人にゃ何言ってんのか訳が分からない。(笑声)
中学生の相手なんかしてる先生たぁ言う事が違う。英語よか難しい。(笑声)
まあ、彼を初め大勢の進歩的インテリと言われる連中が、正しく歴史の流れを認識していたかどうかは、何百年かしないと分からないけれどな。
京都近郊の河内地方の土豪「楠正成」なんかもそうだ。
「悪党」つまり「半ヤクザ半武士」みたいな者だったらしいが、時の後醍醐天皇に懇願され、「反鎌倉幕府」となり、赤坂城や千早城で数十倍の幕府軍を相手にして戦い抜き、天皇側が勝つ端緒を作った。
この楠正成の評価が色々と変わる。
話は違うが日本歴史上で、守って強かった一番は彼「楠正成」だろう。
反対に攻めて強かったのは、いささか規模は小さいけれど新撰組だろうな。
池田屋事件なんかは、敵がどこかで会議をしている。でもどこだか分からない。そこで、少ない人数の新撰組を更に二つに割って、片方は近藤勇、もう片方は土方歳三が率いて探し始めた。
そうして池田屋の二階で敵が会議をしている事を突き止めたのが、近藤勇組。
此処で近藤勇はどういう決定をしたかわかるか?
その通り。人数は全然少ないが、強襲をしてしまう。
池田屋の二階で反幕府の侍が大勢で会議をしてる中に、近藤勇が虎徹の銘刀を振るって真っ先に突っ込んでいく。続いて何人かの隊士が乱入する。
十倍ぐらいの相手と戦ったらしい。と言うのは、出口や窓の下などにも隊士を置いたので、突入組はごく僅かになってしまったんだ。
でも、急の知らせで土方歳三組が馳せ参じる。もうこうなったら決定的だ。
そのうちにようやく京都所司代松平容保の会津藩の侍達が、時代劇でおなじみの「御用提灯」なんか点けて駆けつけた時は、もうお終い。喧嘩過ぎての棒ちぎれって奴だ。
襲撃された反幕府の者は殺されたり捕虜になったりしたが、剣の達人の桂小五郎、後の木戸孝允は脱出して味方の長州屋敷に逃げ込んだらしい。
でもまあこれで新撰組は、ぐんと名をあげたわけだ。
近藤勇はなぜ少ない人数で無謀とも思える突入をしたかというと、京都所司代の侍が来たら、自分達はその手下に成っちゃう。だから新撰組独自で戦って、功績を独り占めにしたかったと言われる。
でも、よほどの自信が無けりゃ出来ないな。
話がそれたがこの楠正成にしろ新撰組にしろ、時代が違うと、全然評価が違う。
日米戦の戦前戦中じゃ後醍醐天皇に命を賭けて尽くした楠正成は大忠臣で、建武の新政の後、後醍醐天皇を吉野に追い払った足利尊氏は大逆賊。
これが戦後になると足利尊氏は大政治家で、後醍醐天皇は武士の働きで勝たせて貰ったのに、役立たずの公家達に沢山報償を与えたというオオマヌケで、いっぺんに信用を無くしたらしいな。
それにくっついてた楠正成も同様って訳で、歴史の表舞台から消えてしまった。
新撰組って言うと、以前は尊皇派を弾圧した悪人というイメージだったが、今はと言うと、滅び行く徳川幕府の最後に咲いたあだ花と言うイメージだ。
1番隊長の沖田総司なんかは、いつの間にかすごい美男剣士にされちゃってる。
本当はってえと彼は魚みたいな顔をしてたらしい。(笑声)
所で、仲間に持ち上げられて吹きまくってる大江氏、数少ない日本のノーベル賞受賞者の一人として歴史の審判に耐えるような論陣を張って欲しい。
僅かの間に魚顔の男が美男剣士に変わる。
ノーベル賞文学者が獣だか鳥だか分からぬコーモリにでもなったんじゃ、どうしょうもねえもんな。(笑声)
<脱線千一夜 第178話>
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