道聞き屋
阿刀田高って言う人を知ってるかい。
大勢いるよな。有名な小説家だけど、彼の話にこんなのがあった。
いや、小説じゃなくって、実際に体験したことだそうだ。
道をあるってたら知らない人に、○○迄行くにはどう行ったらいいでしょうかと聞かれる。
だったらここを行くと□□駅があるから、そこで△△線に乗っていらっしゃいと言う。
いや、電車じゃなくって、歩いて行くにはどうしたらいいでしょうと聞かれる。
えっ、○○迄歩いて行くの。ずいぶんあるよ。アメリカ程じゃないけどさ。(笑声)
歩いて行ったら到底今日中には着かない。
どうして歩いていくのと聞くと、実は財布を落としてしまって、電車の切符は買えませんとの事。
そりゃあ気の毒に、じゃ電車賃を貸してあげましょうという手順で、千円ばかり貸したがそれっきり。
まあ、一種のサギだが、ほかのサギと比べて金額の単位が小さくて可愛いよナ。(笑声)
これは道聞き屋って言うんだそうだ。(笑声)
でも、こんな事があるなんて全然知らなかった。
先生、長い間、人間やってるけど、残念ながらこの道聞き屋には会った事はない。
職員室で話したが、どの先生も会った事は無いらしい。
この組じゃどうかな。やはりいないか。もっとも、中学生じゃお金持ってないだろうから聞いても無駄か。
先生達も被害にあってないって言う事は、つまり、先生なんてみんな貧乏人に見えるのだろうよ。(笑声)
でも、それにしても阿刀田高は運がいいって言うか、何回も道聞き屋に会ってるって言うから、よほど金持に見えたんだろう。(笑声)
昔から「情けは人の為ならず」って諺(ことわざ)がある。この諺は次に「めぐりめぐって己が為」とつながる。
つまり、気の毒な人に同情して助けてやれば、いつかしら、自分が困った時に助けてくれる人が現れるという事で、人間は弱い者だから助け合って行こうという教えだ。
しかし、近頃は反対の意味で使われている。
つまり、なまはんか同情なんかしてやると、つけ上がって始末に困る。(笑声)
図々しくなって増長して来て、本人の為にならないって事で、同情なんかしてやるな、その方が本人の為になり、独立自尊の精神を涵養(かんよう)する事になるって事だ。
宿題忘れたから写させてくれなんて言われてもお断り。情けは人の為ならずってナ。
そうして、先生に引っ張たかれて、痛い目にあって反省するのが、お前の身の為だナーンチャッテナ。(笑声)
これと同じ事が「犬も歩けば棒に当たる」というので、本来の意味は、用もないのに出歩くと、ろくでもない事が起きる。
オヤジ狩りだなんて引っ張たかれたりしてな。(笑声)
だけれど、今は、家に引きこもっていないで外に出た方がいい事がありそうだぞ、といったふうに変わって来た。
だから道聞き屋にあったらこう言ってやるつもりだ。情けは人の為ならずって言うから、電車賃は貸して上げません。犬も歩けば棒に当たると言うから、何時間も歩っていれば、健康にいいし、その上に素敵な娘さんと知り合いになれるか、さもなけりゃ百万円位拾うかも知れませんよってナ。(笑声)
<脱線千一夜 第41話>
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