駅馬車と万引き女

 

 古い映画だけど駅馬車ってのがある。

これは名監督ジョン・フォードが撮った名画だけど、テレビかなんかで見て知ってる人、手をあげてごらん。何人かいるね。

これは、二つの話から成り立っている。

第一は、ジョンウエイン扮するアウトロー、アウトローってのは無法者、つまりヤクザだけど、彼の乗ってる駅馬車が砂漠の中でインディアンに襲われる。

山なら山賊、海なら海賊、砂漠だからさしづめ砂漠賊だ。

とにかくアリゾナの大砂漠の中で、「天国と地獄」の軽快なメロデイに乗って、インディアンと駅馬車の、追いつ追われつの必死の追撃戦が始まる。♪チャカチャカチャーンチャーンチャカチャカチャーンチャーン♪てな。(笑声)

予告編の時、この場面が入っていたんで本物の映画はそっちのけで予告編だけ見に来たっていうお客が大勢いたって言うんだから面白い。(笑声)

所でな、これからが本題だけど、この映画を撮影してる時に、インディアン役のエキストラが、監督のジョン・フォードに質問したそうだ。

「なぜ、インディアンは馬車を引いている馬を狙わないんですか」

つまり、将を射んとすればまず馬を射よだな。

馬車を引いてる四頭だか六頭だかの馬を一頭でも怪我させれば、馬車はひっくりかえってインディアン達の勝ちだ。

だけど、それをやらないで、人間だけ狙って撃ち合いやってるうちに、騎兵隊が出てきてインディアンが負けちゃう。

なぜ、インディアン達は馬を狙わなかったのか。

実は、この事は、ずーっと以前、先生が初めてこの映画を見たときにもそう思ったんだよ。

そこで映画に詳しい友達にこの事を聞いたんだ。

そしたら「映画見る時、理屈いっちゃあ駄目だよ」って言われちゃったけど、どうかね。

君達は、この事、つまりインディアンが馬車をひいてる馬を狙わなかった理由、なんだと思う。

え? インディアンはバカだから。(笑声)

そんな失礼な事は言うもんじゃない。

何? 全部生け捕りにしたかったから。

そりゃあ出来ればそうすりゃあ人質取って身代金が取れるから一番いいかも知れないけど、そのために、仲間が何人もやられちゃうんじゃあ、引き合わないよ。

じゃあ監督のジョン・フォードの言い分を聞こうか。

ジョン・フォードはなんて答えたかって言うと「そんな事すりゃあ、この映画それでオシマイだよ」(笑声) たしかにそうだよね。

これから続いて、騎兵隊にようやく救われてホッとする所。それから、アウトローの決闘の場面、もう続きゃしない。

だから、解説を読んでみると、ここでジョン・フォードが見せたかったのは、手に汗握る追撃戦の場面で、これを様式美として描きたかったとあった。

様式というのは、すこし難しいけれど、例えば、劇の回しゼリフなんかがそうだ。

今、舞台に四人の人が出ていて、それをA、B、C、Dとしよう。

そうして長いセリフをこの四人が分けながら言うんだ。例えば

A「おやおや、あの、むこうからくるのは」

B「あの様子からすると」

C「近ごろ、都に名高い」

D「○○さんかもしれませんねえ。」

と言って、顔を見合わせる、といった按配だね。

実際にはこんなこと言うはずはないんだけど、そこが芝居の約束事っていうか、お客によく分からせるように、このような様式を使っているわけだ。

 

 と言ったように、芝居や映画をとりあげた場合、一般の常識では割り切れない「きまり」のようなものがある。

この「きまり」をお客もよく知っていて鑑賞するわけだ。このような「きまり」はどこの世界にもある。

その「きまり」を知らないで、自分の言いたい放題の事を言うようでは常識を疑われてしまう。

ここまで話を長々ともってきたのはほかでもない。学校もまた、これと同じであると言う事だ。

学校での「きまり」は場合によったら一般社会から見て理屈が通らないと言う事があるかもしれない。でも、それは学校という社会の中で、大勢が仲良く暮らしていく為に必要な事なのだ。

学校の校則なんてなっちゃいないなんて、いちいち下らない事にケチつけるような奴は、芝居や映画の約束事を知らないでガチャガチャ言ってる「おろか者」と同じなんだ。

こんなふうなガチャガチャ言ってる「おろか者」に、おもしろがって新聞やテレビが味方したりして、ルールもへったくれもなくなっちゃう事がよくある。

以前、おせっかいな女の評論家がいた。

こいつが、子供はこのように育てなけりゃあいけないの、今の教師はもっともっと子供の気持ちを考えるべきだの、学校を小バカにするような事言ってたけど、何のこたぁないよ。自分で「万引き」やらかして、とっつかまりやぁがった。(笑声)

万引きする子供の心理の研究の為に、自ら実践していたののかも知れないな。(笑声)

 

<脱線千一夜 第28話>  


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