シナポコペン

 

 先生が小学校の5年生の時に、その組に中国人の「謝」と言う子が転入してきた。

時は、アジアの風雲急を告げ、日中戦争が日米戦争になって、日独伊の枢軸国と米英中ソ仏蘭の連合軍が世界の覇権を賭けて、死闘していた時だ。

そんな時に中国人の子が転入してきたら、「チャンコロ」とか「シナポコペン」とか言われ、さぞかしイジメの対象になるだろうと、みんなは思うだろうが、それがそうじゃない。

忽ちに、クラスの中に溶け込んでしまって仲良くなった。一つは、すごい特技があったことも幸いしてるがね。

え? 手品がうまいのかって?

違う。成る程。昔から中国人の手品ってのは有名だけどな。

うまい中華そばを作るって?(笑声) さあ、そんなこたあ知らんね。彼の家に行って、御馳走になったわけじゃないからな。(笑声)

正解はって言うと、とても足が速い。それまでは、クラスと言うより学年で一番速いのがNという奴だったけど、この中国人の「謝」は、そのNよりも速い。

あいつはキ謝(汽車)だから速いんだなんて言われてた。(笑声)

 

 アメリカに居た日本人は、誰彼の区別無く、みんな、歯をむき出した黄色いジャップ共と蔑まれ、財産取り上げられて、強制収容所に入れられたらしいが、日本にいた中国人に対しては、そんな事は無かったな。

「チャンコロ」とか「シナポコペン」とかは、アメリカやイギリスに騙され、彼等の傭兵になってる奴等の事。

アジア人のアジアを作ろうと戦ってる、大東亜共栄圏の理想を理解しない蒋介石や毛沢東とその軍隊が悪い奴で、一般の中国人は、我々日本人と同じ気持ちで、日本軍によるアジアの開放を心から喜んでいると、思いこまされていた。

いささかお目出度いがな。(笑声)

実際はって言うと、例えばインドネシアのスカルノなんかは、日本軍の力を借りて、それまでの支配者のオランダを追い出したんだ。

別に、大東亜共栄圏に賛成してたんじゃない。日本軍を利用してただけだ。お目出度いのは先生だけじゃねえ。日本まるごとお目出度かったんだ。(笑声)

次に日本軍をゲリラ戦で追い出そうとしたら、アメリカに負けて逃げ返ってしまったと言うから、うまくやったもんだな。

え? 「チャンコロ」とか「シナポコペン」とかって何だって? どっちもシナ人の侮称、いや、シナ人なんて言うと差別語だって騒ぎに成るがな。中国人だ。中国には「張」と言う人が多かったので、「張」に「公」をつけて「張公」がなまって「チャンコロ」になったのだろう。当てにはならねえけどな。(笑声)

「シナポコペン」てのは何かと思って、この間調べてみた。「シナ」は勿論中国人、じゃ「ポコペン」てのは何かと思ったら、中国語のスラングで「駄目駄目。元(もと)が切れる」と言ったことらしい。

例えば、古道具屋で気に入った物を見つけて値段の交渉をする。

「この彫刻は幾らだ」

「三百元(げん)にサービスしますで。旦那。お買い得ですがね」

「三百元は高い。百二十元てとこだ。(笑声) サービスするってんなら、百元にしろよ」

「ポコペン!!(笑声) 旦那。いくら何でも百二十元じゃ元が切れますで。それをまた百元にしろってんじゃ、首くくらなきゃなんねえ」

と言ったわけで、「元が切れる」から「どうしようもない」「かなわん、かなわん」の意になったんだろう。

だから、その頃に流行った戦意高揚漫画なんかには、日本兵に銃を突きつきられた敵兵が「ポコペン、ポコペン」と言いながら逃げて行くのなんかあった。

 

 所で、その頃に音楽の先生が、日中戦争の傷痍軍人だった。傷痍軍人てのは戦争で怪我をして、帰ってきた兵隊だ。

面白い先生で、その怪我を見せてくれたことがある。上着もシャツも脱いで上半身裸になったら、右の胸に敵の弾が貫通した跡がある。

前から入って後に抜けたんで、前の傷は小さいが、後の傷は大きい。右だからよかったんだ。もし左だったら心臓で、それっきりだったんだ。

この先生が、中国帰りで中国語がペラペラなんだ。そこで「謝」をつかまえて中国語で話を始めた。

何が何だか分からないから、みんなポカンとして聞いてる。

ちょうど「謝」の席は先生の席の隣だったから、後で聞いてみたら「私の言ってる事は、この中で謝君しか分からない。他の者は犬とおなじだ」だってさ。(笑声)

こりゃかなわんな ポコペン ポコペンだ。(笑声) 

 

<脱線千一夜 第117話>


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